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防府簡易裁判所 昭和35年(ろ)72号 判決

被告人 前田繁輔

明六・五・一一生 農業

主文

被告人は無罪。

理由

第一公訴事実

(一)  本位的訴因

被告人は、昭和三四年一一月頃、山口県佐波郡徳地町大字深谷字西峠一三七番の桑原ヨシ所有(登記簿は桑原ヨシの亡夫桑原稔一名義)山林に於て、五〇年もの位の杉の木一九本位(時価三万円位)のものを伐採窃取した

(二)  予備的訴因

而して前記の伐採に当つては其の日から六〇日前に山口県知事に之の旨所定の届出書を提出しなければならないが、之をせず伐採し

たものである。

第二裁判所の判断

本位的訴因について

1  本件公訴事実として本質的なことは公訴の対象となつた森林は果して何人の所有に属するかということであり、所有権の帰属を確定することが先決問題である。被告人の司法警察員に対する供述調書(昭和三五年三月一五日付、同年四月七日付)および検察官に対する供述調書(昭和三五年五月一七日付、同年八月一二日付)によると、被告人は昭和三四年一一月ごろ公訴事実に符合する数量の杉の木を伐採(以下伐採した地域の山林を単に係争山林と称する)したことは相違ないが、それは桑原ヨシ所有山林内の杉の木ではなく、自己所有山林内のものを伐採したものであると主張し、当公判廷においても繰り返しこの主張をしている。当裁判所の検証調書によれば被告人が伐採を自認する五〇年位の杉の木は、いまなお係争山林内に切り倒されたままになつておりその数は五〇年位のものが一九本外にそれより若い樹令と認められるもの三本合計二二本位であることが認められる。つぎに本件森林産物の被害者であるという桑原ヨシ所有の山口県佐波郡徳地町大字深谷字西峠一三七番山林一町三反七畝二五歩(登記は桑原稔一所有名義)の東側と被告人所有の同所一三八番山林一町二三歩(登記は前田繁志所有名義)の西側は隣接していることは明かであるが、両者の境界について争いの存するところである。当裁判所の証人桑原秋夫、同桑原ヨシ、同田中千代槌、同原田薫、同藤原村一の各尋問調書、当公判廷における証人青木繁槌の供述および検証調書を総合すれば被告人が伐採した杉の木の生立していた山林はもと亡桑原稔一の所有であつて現在は桑原ヨシの所有に属すると認められるようではあるが、それはそれほど明かなものでなく、蓋然性を有するに止まり、一面、被告人の検証現場における実地の指示や当公判廷における供述、ならびに当裁判所の証人武石助夫、同山本覚信に対する各尋問調書および当公判廷における証人原田薫の供述によるときは被告人の所有のように認められないこともない。この両者の山林の境界について桑原ヨシの亡夫である桑原稔一所有時代から現在に至るまで両者間には実地立会のうえ、これを明かにした事実もない。もつとも、被告人は桑原稔一の生前、同人と立会のうえ境界をきめ、係争山林は被告人の所有である旨主張するけれどもこれを認めるべき証拠はない。両者は互いに係争山林は自己の所有に属するものであると、きめ込んでいたに過ぎないとみるのが相当である。結局本係争山林の所有権ないし境界については、現在ではきめ手というのはないから、いずれ後日民事裁判によるのを相当とするであろうが、現段階に現われた証拠からは前示の各証拠を全体的に比較対照して考え合せると、係争山林はもと桑原稔一の所有であつて現在は桑原ヨシの所有であると認めるの外はない。

2  右認定のとおり、係争山林が被告人の所有に属しないとなれば、被告人は他人所有の杉の木を伐採したことになる。ところが被告人は前示司法警察員ならびに検察官に対する供述調書によれば、終始犯意を否認し、当公判廷における供述も自己所有の山林を伐採したものであるとの主張は一貫している。そこで検察官の主張する、被告人は、森林法第一九七条に規定する桑原ヨシ所有山林において、その産物である杉の木を窃取したものであるかどうかの点につき判断してみると、およそ窃盗罪の成立するためには犯人において他人の財物を窃取するという認識(犯意)をもつて他人の財物を窃取することによつて成立する犯罪であるところ、果して被告人には係争山林が桑原ヨシの所有であつて同人の意に反することを知りながら、ことさらにその山林の木である本件杉の木を伐採したのであろうか、この点について被告人を疑えば疑える事実もないではないが、他面これを減殺する事実も存する。すなわち被告人が本件杉の木を伐採するに至つた経緯や、これまで刑事上の処分を受けたこともなく、かつ、相当の資産(被告人の当公判廷での供述は二千万円という)を有し、しかも齢すでに八七年、老の一徹というか、あるいは確信犯ともいうべき当公判廷における供述、態度などを合せ考えると、被告人に他人の財物を不法に領得する意思があつたと認めることは困難で、まだ有罪判決の心証として確信の程度に達することはできない。

してみれば本位的訴因は、民事上の損害賠償等の対象となるは格別、森林窃盗罪は成立しないものというべきである。

予備的訴因について

まず、本位的訴因の森林窃盗と予備的訴因の伐採の届出違反は公訴事実の同一性があるかどうか考えてみるに、単に杉の木を切つたということは同一であり、かつ、また本位的訴因も予備的訴因も森林法に規定されていることではあるが、前者は森林窃盗という特別刑法のいわゆる自然犯であり、後者は営林の助長、監督上の必要から規定された行政犯であつて、両者は処罰の目的を異にしているから予備的訴因については大いに疑問の存するところであるが、その点はしばらく措き、森林伐採の届出違反については、森林法第一五条によれば届出義務者は「森林所有者その他権原に基き森林の立木の使用又は収益をする者」とあつて、予備的訴因の主体として、まず、右の届出義務者であることが前提とならなければならない。ところが前示本位的訴因について判断のとおり、係争山林は被告人の所有ではなく桑原ヨシの所有であると認められる以上被告人はもはや右の前提を欠くから、予備的訴因については爾余の判断をするまでもなく犯罪を構成しないものというべきである。

以上説示のとおりであるから、被告人の所為は公訴事実の本位的訴因も予備的訴因も結局罪とならないものとして、被告人に対し刑事訴訟法第三三六条に則り無罪の言渡をすべきものとする。

(裁判官 瀬木秀信)

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